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高野優(たかのゆう)
【Profile】
育児漫画家・絵本作家であり、大学生、高校生、中学生の三姉妹の母。
2015年 日本マザーズ協会よりベストマザー賞を受賞。
マンガを描きながら話をするという独特のスタイルで、育児に関する講演活動を全国でおこなっています。
NHK教育テレビにて「土よう親じかん」「となりの子育て」の司会を3年間務めました。
第19回「NHKハート展」(2014年2月より全国巡回)に参加しました。
2015年7月より日本テレビ系「スッキリ!」にコメンテーターとして出演中です。
『よっつめの約束』(主婦の友社)、『思春期ブギ』(ジャパンマシニスト社)等、著書は40冊以上になり、台湾や韓国等でも翻訳本が発売されています。
高野優公式サイト http://www.k4.dion.ne.jp/~alamode/
 

高野 優 最新コラム

高野優 『寝ても覚めても』
2017/10/05

第9回 迷いの言葉が変わるまで

Tweet ThisSend to Facebook | by ゆかりんご

「この子はこういう子だから」。

親は子どものことをすぐに決めつけたがる。
まるで、図式にあてはめるかのように。わたしもそうだった。

思い通りにいかないと、大声で泣いてひっくり返る長女をなだめながら、胸の中がざわめく。
「こんなに我慢ができない子で、この先どうしよう」。

体が弱くて発達も遅い次女との生活はとにかく大変だった。
リハビリに通っても出口が見えなくて途方に暮れる。
ため息まじりででてくる言葉は、「なにもできない子で、この先どうしよう」。

人見知りが強い三女。待機児童が多い区で、ようやく入れた保育園だというのに、毎朝泣きじゃくっては先生たちを困らせた。
早足で仕事場へ向かいながらも後ろ髪が引かれる。
体と心が向かう方向はばらばらなまま、静かに呟く。
「ずっと泣き虫だったら、この先どうしよう」。

頭のなかや胸のなかで何度も繰り返す「どうしよう」の五文字。
口にすればするほど、不安や焦りがじりじりと募るばかり。

 

ときが流れて気がついた。
あんなに心配をしていた「この先」が、いったいいつを指していたのかはわからないけれど、子どものほうが親よりもずっとタフで、どうにかなるということに。
それどころか、あの頃の悩みが今では笑い話になっている。

 我慢ができない子だったけど、どうにかなる。

 発達が遅い子だったけど、どうにかなる。

 人見知りが強い子だったけど、どうにかなる。

「どうしよう」という迷いの言葉は、「どうにかなる」と、おおらかな言葉へ変わっていた。
子育て中に抱える悩みのほとんどは、案外どうにかなるのかもしれない。 


その証拠に、どうにかこうにか大きく育ったわが家の三人の子どもたちは、今日も朝から笑って怒ってはしゃいで大騒ぎ。
今年もまたにぎやかな夏が終わりゆく。


*本コラム「寝ても覚めても」は、別媒体へ掲載した原稿をみんつく用に加筆訂正したものです。



12:52
2017/06/13

第8回 「まだ」という名のおまじない

Tweet ThisSend to Facebook | by mana
「赤ちゃんが生まれてから、上の子がかわいく思えない」「上の子ばかり怒ってしまう」そんな声をよく耳にする。
兄弟や姉妹を育てている方なら、だれもが通る悩みかもしれない。
わたしもよくわかる、ひりひりと痛いくらいに。

忘れられない光景がある。

上の子が5歳、下の子が3歳の頃、打ち合わせが延びてしまい、初めて延長保育をお願いした。
色濃く更ける夜に焦りながら保育園へ走り、長女のクラスに入った瞬間、どきっとした。
目に映ったのは、ちいさくて華奢な娘の後ろ姿。
友達の輪に入らず、なにをするわけでもなく壁にもたれかかっている。
名前を呼ぶと、背中がぴくりと上下に揺れ、見たことのない表情で振り返ったあと、泣きながら駆け寄ってきた。
 
普段の長女は口が達者で、なにかあるたび、もう5歳なのにとため息をひとつ。
だけど、膝にしがみついて泣きじゃくる姿を見て気がついた。
「もう」5歳じゃなくて「まだ」5歳。
おおきくてしっかりした子じゃなくて、ちいさくてまだまだあまえたい子なんだと。

それからは、いらだつ気持ちに、自然とブレーキがかかるようになった。
そのブレーキこそが、「まだ」という、たった二文字のおまじない。

公園やデパートで、ふとすれ違う親子。
そのほっぺ、その手首、そのまつげ、まるみを帯びた姿を、わたしは知っている。
そして、幼い子にいらだちを覚えていた、いつかの自分を恥じる。

日々の忙しさや、次々にやってくる子育ての難しさに迷っていると、ずいぶん前に抱えていた悩みを忘れそうになる。
でも、それじゃだめなんだ。
わたしたちが通ってきた道で、同じようにつまずいている方がいたら、手を差し伸べなくちゃ。

悩んでいる方に、どうか、「まだ」というおまじないが届きますように。


*本コラム「寝ても覚めても」は、別媒体へ掲載した原稿をみんつく用に加筆訂正したものです。
10:00
2017/04/11

第7回 帆をあげて

Tweet ThisSend to Facebook | by mana
「はいこれ」と、小さな手から渡されたのは招待状。
封筒をあけると、二分の一の成人式にお越しくださいと書かれてあった。

ああ、もう10年が経ったんだ。
か細いのに力強い産声を耳にした日から10年が。
 
思春期の入り口に立って、まっすぐに前を見据えている10歳の長女。
今、確かにわたしと娘のあいだに、大きなうねりのようなものが見えた。
これまでのような親子ではいられないんだろう。
 
どうしても聞いてみたい。
この10年、いったいなにを見て、なにを聞いて、なにを口ずさんできたの?

 
長女が赤ちゃんだったころ、夜泣きがあまりにもひどくて、とにかくへとへとだった。
家のなかでさえこんなにうるさいんだから、さぞかしご近所迷惑だろう。
 
あるとき、お隣に暮らすおばあちゃんが玄関先で日向ぼっこをしていたので、夜泣きでご迷惑をかけていませんか? と、声をかけた。
おばあちゃんは、わたしと娘の顔を交互に見たあと、静かに話し始めた。
「年に『つ』がつくうちは神様の子どもだから、大事に育てていればいいのよ」と。
その穏やかな微笑みを、この先もずっと忘れないんだろうなぁと思いながら頷いた。
 
ひとつからここのつまで、年齢に「つ」がついている。
わたしの腕の中で泣き疲れて眠る小さな子が神様の子どもなのかどうかはわからない。
それでも、大事に育てようと胸の奥で誓った。
 
 
そして今、さらに10年という月日が経ち、泣きじゃくっていた小さな娘は、わたしの背を軽く越した。
成人式を迎え、振袖をまとってうれしそうにはしゃぐ姿に、ふと、二分の一の成人式の面影を重ねる。
 
10年前には想像もつかなかった未来を歩んでいるけれど、それでもただ、子どもの歩む道に光を照らしたくて帆をあげている。
荒波に負けないように高く、どこまでも高く。


*本コラム「寝ても覚めても」は、別媒体へ掲載した原稿をみんつく用に加筆訂正したものです。
09:00
2017/02/03

第6回 深くて強い贈り物 

Tweet ThisSend to Facebook | by mana

「お母さんのつけてくれた名前が大好きだよ」と笑う二十歳の長女。

ついこの前、空気を震わせるような産声を響かせていたというのに、
もう成人を迎えたなんて。
はじめての子育ては、毎日がはらはらどきどきの連続だった。
真っ赤な顔で泣き続ける娘を前に途方に暮れ、わたしまで涙ぐんだ日が懐かしい。

 
そういえば、生まれたばかりの娘を胸に抱いたとき、あまりの軽さに驚いた。
目眩にも似た驚き。でも、軽いのに重い。あのずっしりとした重さは責任だった。

 
泣いてばかりいた赤ちゃんは、いつしかわたしの背を軽く越した。
なんにもおしえてあげられなかったと後悔をしているし、いいかげんな母親だったと反省もしている。
できることなら許してほしい、いろいろなことを。
つらいことをいっぺんに流せる水があったら、どこまでだって汲みに行くのに。

 
それでも、家族という同じ小船に乗って、波間をたゆたいながらの冒険は居心地がよかった。
笑ったり泣いたりを、いったいいくつ繰り返して、ここまでたどりついたのだろう。
それなのに、もう下船しちゃうなんて。

 

 
20年間、育てさせてくれてありがとう。

 
四季の豊かさを、草花や雲の名前を覚えさせてくれてありがとう。
どこまでも続く空の高さや、水面に映る小さな光を気づかせてくれてありがとう。

 
母親になるまで知らなかった感情を抱かせてくれてありがとう。
たとえば不甲斐なさや、せつなさや、もどかしさや、やるせなさを。
そして、豊かさと、優しさと、強さを。

 
ふと思う。
いつか知ったあの重さは、責任だけじゃなかったことを。
あれは、深くて強い愛情という名の贈り物だった。たくさんの愛情をあたえているつもりだったのに、あたえられていたのはわたしのほう。
それも、両手では抱えきれないほどに。

 
長女の名前は凜。
その名のとおり、次の船に凛々しく乗り込めますように。




*本コラム「寝ても覚めても」は、別媒体へ掲載した原稿をみんつく用に加筆訂正したものです。
23:30
2016/12/15

第5回 プレゼント

Tweet ThisSend to Facebook | by mana

家族サービスという言葉がある。

子どもたちが幼いころ、よく口にだしたその言葉。
億劫だけど仕方ないというニュアンスも込めてつかっていた。
普段はどんなに大声で起こしても起きないのに、休日になると早起きな子どもたち。
目覚まし時計より早く、小さな怪獣が起こしにやって来た。

それでも、なんとか起き上がって出かける準備をするのは、笑った顔や、はしゃいだ顔が見たいから。
ただ、それだけ。

 
動物園へ行こうか。
象の大きさに驚いて目をまるくして、キリンの首の長さを不思議に思って首を傾げよう。
帰りの車の後部座席では、はしゃぎ疲れて、ぐっすりと眠る三人の子どもの姿。

 
楽しんでくれてよかったという気持ちが半分。
もう半分は、家族サービスの任務終了という責任にも似た気持ち。

そして今、大学生、高校生、中学生と大きく育った子どもたちは、おもいおもいの休日を過ごしている。
眠るわたしを起こす甘えんぼうの怪獣は、もうどこを探しても見つからない。

 
朝寝坊を堪能したあと、大きなあくびをしながら窓を見る。
昨日は見渡す限り乱層雲だったのに、今日はうってかわって積雲が散らばっている。
冬の澄んだ空に印をつけるかのように。

 
ふと思った。
いつからだろう? 
雲の名前を聞かれることも、雲の名前をおしえることもなくなってしまったのは。

 
ようやく気がついた。

 
家族サービスだと思っていたすべてのできごとは、他の誰でもない自分自身へのプレゼントだったということに。
子どもたちが大きくなってから、胸の奥がぽっかりと空いたように感じる。
そのさみしさを埋めるのは、いつかの嬉しそうな顔、驚いた顔、遊び疲れて眠る顔。
ひとつひとつの思いでが、灯のように暖かくわたしを灯して、息を吹きかけるように、ゆっくりと胸の穴をふさぐ。

 
その灯があれば、この先もきっと歩いていける。
大きなプレゼントを胸に抱えて。
















*本コラム「寝ても覚めても」は、別媒体へ掲載した原稿をみんつく用に加筆訂正したものです。




10:00
2016/10/09

第4回 魔法つかいにはなれないけれど

Tweet ThisSend to Facebook | by mana
もしも魔法がつかえたら。 
 
遥か遠い未来へ行って、大きくなった子どもたちの姿を見てみようか。
それとも、そっと過去に戻って、まだあどけさの残るちいさな子どもたちを、この腕に抱いて寝かしつけてみようか。

そんなふうに自問自答をしてみるけれど、答えはとっくに決まっている。
赤ちゃんだったころに会いに行くと。

まっすぐに伸びた柔らかな手を、しっかりと握りしめるために。
泣いたあと、まつげに残る涙の雫を、優しく拭うために。
くしゃっとした顔でおもいっきり笑うその顔を、まぶたに焼き付けるために。

次から次へとあふれてくる望み。あれもしたい、これもしたい。
でも、わかっている、すべては叶わない夢だということも。
そもそも、魔法なんてつかえないということも。

子育ては、どうしてこんなにあっけないんだろう。

ただ、必死に育ててきた。
泣きやまないことに、眠らないことに、食べないことに頭を抱えながら。
一日も早く大きくなあれと、まるで呪文のように唱えていた日々。
大きくなれば、きっとすべての悩みが解決すると疑わなかったあの頃。

それなのに今、どうしてかわからないけれど、過去に戻りたくてしかたがない。
あのころ唱えていた呪文どおりに、子どもたちはわたしの身長を軽く越えた。
すこやかな成長が、なによりもうれしくてたまらないはずなのに、後悔に似た苦い思いが、ふとよぎる。

もっとゆっくり子育てをたのしめばよかった、あんなに急ぐ必要はどこにもなかったと、だれかが耳元で囁いている。
その声を聞くたびに、胸の奥がちくりと痛む。
耳元で囁いているのは、ほかのだれでもない自分自身。

魔法つかいになれなかったわたしは、これからも子どもたちの成長を見守っていくんだろう。
せつなさと悔いを抱えながら。



*本コラム「寝ても覚めても」は、別媒体へ掲載した原稿をみんつく用に加筆訂正したものです。
01:00
2016/07/20

第3回 13歳の決意表明

Tweet ThisSend to Facebook | by mana
 散らかっている子ども部屋にうんざりしながら掃除機をかけていると、無造作に置かれた書きかけの原稿用紙が目にとまった。軽い気持ちで読み始めたはずなのに、反抗期と思春期のはざまで揺れる13歳のリアルな三女の姿に引き込まれ、いつしか胸をつかまれていた。
 
 「夢は必要か、現実は必要か」と、強い筆跡で記されている。
 たぶん、国語の弁論につかう原稿だろう。そういえば、長女と次女も中学生の頃、弁論のテーマに頭を抱えていた。二人は、「中学生に携帯電話は必要か」「いじめ問題を考える」という、いかにも中学生にありがちな題材だったので、内容すら覚えていない。
 三女の文章は淡々としているものの、ときおり苛立ちを覚えているのか、こんなことが綴ってあった。
 
 『小学生まで周りの大人は、将来はなにになりたいの? と、決まり文句のように聞いてきた。正直に答えると、にっこり笑って頭をなでられた。それなのに、中学生になったとたん、同じ質問をされて答えると、そんな夢物語はそろそろおしまいにして、現実的な話をしましょうとたしなめられる。
 夢は必要だ。私の夢を絶対に馬鹿にしない大人が一人だけいる。母だ。プロのサッカー選手になりたいと話すと、「絶対になれるよ! かっこいいポーズでポスターに映るあなたの姿が目に浮かぶんだよね」と言ってくれた。私は夢をつかんでみせる。中学生に現実なんてまだいらない。夢を叶えたあとに考えればいい』

 それは、13歳の決意表明。
 最近はふてくされてばかりで口数も少なく、なにを考えているのか、さっぱりわからない。でも、仏頂面の裏側に隠されているまっすぐな気持ちに、ほんの少し心が触れた気がする。
 子どもの夢に水を差さずに本気で応援をしようと思う。周りの大人がたしなめるのならなおのこと。たとえそれがどんな夢だとしても、叶わなくても。



*本コラム「寝ても覚めても」は、別媒体へ掲載した原稿をみんつく用に加筆訂正したものです。
23:30
2016/05/30

第2回 星がきれいだね 

Tweet ThisSend to Facebook | by mana
藍色の空に浮かぶ星を見るたびに思いだすのは、あの日、出逢った親子のこと。

仕事がひと段落したので温泉へ向かい、露天風呂でほおっとしていると、若いお母さんと3歳くらいの男の子が湯船に飛び込み、お湯を掛け合いだした。
日付が変わろうとしている時間帯ということもあり、隣にいたご婦人が静かにたしなめると、親子は、「は~い、あっち行こ!」と、お風呂から上がってビーチチェアに寝転んだ。
子どもをおなかの上に抱く姿は、まるでラッコの親子。

 「ほら、リョウヤ見て。星がきれいだね~」
 「うん、お星さま、きれい!」
 それは、どこにでもあるたわいない親子の会話。
 「星があっちからこっちに流れるのを見たら、すっごくいいことがあるんだって」
 
流れ星を見たら願いごとが叶うんじゃなかった? 
ぼんやりと考えていると、男の子が無邪気に言葉を続ける。
 
 「ボク見たことないよ。ママあるの?」
 「うん、あるよ~」
 「いいないいな、すっごくいいことあった?」
 
こぽこぽとお湯が流れる音以外はなにも聞こえないので、自然と会話が耳に入ってくる。
あのお母さんは、いったいどんないいことがあったのかな?
 
 「あったよ。リョウヤに会えたよ!」

思いがけない一言に、胸がぎゅっと締め付けられた。
なんて素敵なお母さん! 
一瞬でも騒がしいと眉をしかめた自分が情けない。
 
ふと親子のほうを振り返ると、男の子が静かに泣いている。
涙をぬぐいながら、優しく子どもの髪を撫でるお母さん。
 
ああ、嬉しいんだ。
耳元で親から囁かれる言葉が嬉しくてたまらないんだ。
わたしはあのお母さんのように、嬉しさや喜びで包めているのかな? 
 
あたたかい言葉を、やわらかい言葉を、歌うような言葉を子どもに届けよう。
子どもが両手では受け止められなくて、困っちゃうほどに。



*本コラム「寝ても覚めても」は、別媒体へ掲載した原稿をみんつく用に加筆訂正したものです。

00:15
2016/04/30

第1回 たったひとつの物語

Tweet ThisSend to Facebook | by mana
『寝ても覚めても』
たったひとつの物語



もう15年以上も前のこと。

はじめての子育てで右も左もわからず、幼い娘に振り回されてばかりのわたしは、三人のお子さんを育てているお母さんに会うたび、「ベテランの先輩!」と、驚きと憧れの眼差しで眺めていた。
ところが、いざ、自分がその立場になると、なんのベテランでもないことに気がついて、ひとりで苦笑い。

子どもたちは、それぞれが違う個性と輝きを持って生まれてくるから、そのたび、はじめての子育てが始まる。
悩む内容だって、当然、がらりと違う。
 
長女を育てているときに夜も眠れないほど悩んだことが、次女にはまったくあてはまらない。
逆に、長女には思いもよらなかった悩みが、次女で一気に押し寄せてきたり。上の二人には無縁だったことが、三女にとって、いちばんの悩みになったことも。
こうして文字にしているだけで、頭のなかはすでにごちゃごちゃ。
 
子育てはトライアスロンに似ている。

ひとつの大きな悩みが壁のごとく目の前に立ちふさがり、知恵と勇気と愛情を振り絞って壁を乗り越える。
一見落着とばかりに、ゆっくりとあくびをするために腕を伸ばした瞬間、次の悩みがやってくる。
それも厄介なことに、手を変え品を変え。
 
壁を乗り越えること、早20年。
いまだにゴールがどこにあるのか、そもそもゴールなんてあるのかさえもわからないまま。
 
だからこそ、へとへとに疲れてしまう前に上手に肩の力を抜かないと。
いつも全力でがんばっていたら、気持ちも身体も倒れてしまうから。
わたしが三人の子育てをしながら身についたのは、「育児のベテラン」ではなく、「力の抜き方のコツ」かもしれない。

子育て中のお母さんお父さん、ゴールはきっと遥か遠い先。だからこそ、焦らず慌てず、ふうっと深呼吸をつきませんか? 
世界にたったひとつの子育て物語を紡いでいくためにも。


*本コラム「寝ても覚めても」は、別媒体へ掲載した原稿をみんつく用に加筆訂正したものです。
00:10
2016/03/31

新連載スタートします!

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はじめまして、
大学生、高校生、中学生、そして猫二匹を
どうにかこうにか育てています。


みんつくの読者のみなさんが
ほっと一息ついてくれるような、
そんな連載にしたいと思っています。


どうぞよろしくおねがいします。




寝ても覚めても


~どうぞお楽しみに♪~












00:10